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福岡高等裁判所那覇支部 昭和49年(う)182号 判決 1976年4月05日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

検察官の本件控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、検事新井弘二および弁護人知念幸栄ほか五名ならびに同石田省三郎各作成名義の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して当裁判所は、つぎのとおり判断する。

第一検察官の控訴趣意について。

一控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について。

所論は、要するに、被告人は炎の中から原判示被害者を引きずり出したうえ、その顔面、脇腹を数回強く踏みつけるなどの殺害行為をしており、このことは原審証人宇保賢二、同平野富久の各証言から認められるばかりでなく、被告人の右行為の前後における行動および動機等からも明らかであるのに、被告人の行為は消火行為であり、前記各証人の証言は信用することができず、他に被告人が殺人を犯したと認めるに足りる証拠はないと判断した原判決には、証拠の価値判断を誤つた結果、事実を誤認した違法があるというものである。

よつて、所論にかんがみ、当裁判所は、原審記録を精査し、かつ、当審における事実取調べの結果をも参酌し、諸事情を仔細に検討して審案したが、原判決の認定に所論のような事実誤認の違法は存しないとの結論に達した。以下順次判断を示すこととする。

1  被告人の行為は、消火行為ではなく、被害者の顔面、脇腹を踏みつけたものであるとの主張について。

(一) 本件記録によれば、被告人の行為につき、原審証人平野富久、同宇保賢二が消火行為ではなく原判示被害者の身体を踏みつけていた旨証言し、司法警察員喜久里伸ほか一名作成の写真焼付報告書添付の写真15(以下「喜久里・写真15」という。)に右各証言を裏づけるかのようにみえる写真があることは所論主張のとおりである(なお、読売新聞掲載の下段の写真は、それ自体としてはなんらの裏づけともならないことは一見して明瞭であり、同上段の写真のみかた如何によつては、それとの関連において意味を持ち得るにすぎないところ、上段の写真について後述するところ等からして、採りあげるに値しないといわなければならない)。

(1) そこでまず、喜久里・写真15について検討する。

喜久里写真15には、被告人が、火がつき路上に倒れている被害者のそばで右足を上げているところが写されている。一方、原審および当審証人吉川正功の各証言および同人撮影にかかる一六ミリ映画フイルム(以下「映画フイルム」という。)によれば、右フイルムは、本件問題の行為が写されているものであるところ、写つている人物の服装、ヘルメツト、持つている棒、その動静等から考えて、喜久里・写真15は、映画フイルム19ないし56コマが撮影される間に、別の角度から撮影されたものであることが認められ、従つて、喜久里・写真15が所論主張の行為であるかどうかは、映画フイルムの映像にあらわれた被告人の行為をどう評価するかにかかる。ところで、映画フイルムを仔細に検討しても、被告人が被害者を踏んでいるものと明瞭に認められる個所はなく、却つて、その映像にあらわれている被告人と認められる者の足が比較的よくあらわれている37ないし56コマのフイルム自体からは、被告人が被害者の左腕附近の路上の火を踏み消していることがかなりの程度看取されるのである。しかも映画フイルムによれば、被告人が本件問題となる足を踏みおろす行為を開始してからは、次々と他の者が被害者の身体の付近を踏みつける等し、ついで被害者の身体にジユラルミンの楯および旗を被せるという明瞭な消火行為と認められる行為が続いており、この間秒単位の極めて短い時間であることを考えると、被告人の本件問題の行為から右楯、旗による消火行為は一連の行為であつて、その場のその時の雰囲気は、炎に包まれて路上に倒れている被害者の生命を救わなければならないとの空気が流れていたものであつたと推測されるのであり、従つて、被告人の行為も、被害者を救助するために火を踏み消す意図のもとでなされたのではないかと考える十分な余地があるものといわなければならない。思うに、生身の人間が焼かれるという異常にして酸鼻な光景を目撃した場合、たとえ数分前数秒前に激しい暴行をしかけた覆面姿の者らといえども、一瞬呆然となり、そして我にかえつたとき、その意思と行動が、被害者のための消火救出に向けて奔出し、周囲の空気もそのように一変したと考えることは、決して経験則に反することではない。まして、後述のとおり被害者が炎に包まれる前のたつた一回の足蹴り行為に及んだとしか認められぬ被告人が、他の者に率先して、炎の中から被害者をひきずり出し、消火行為に挺身したとしても、不合理、不自然なかどはないといわなければならない。

(2) 次に原審証人平野富久の証言の信用性について検討するに、同証人が被害者に対する本件犯行のほぼ全貌を目撃し、しかも被告人の行為を三ないし五メートルの至近距離で目撃している旨証言していることは所論のとおりである。しかしながら、同証人は、原判示のとおり、被告人が被害者を引きずり出した事実を全く気付いておらず、一連の事態の推移を十分に観察していたかどうか疑問であるのみならず、同証人は、原審第七回公判期日においては、検察官の尋問に対し、「一人の男が警察官の背中を棒で殴つたとき被告人が警察官を蹴るのを見た。」旨明確かつ断定的に証言しておきながら、原審第八回公判期日においては、反対尋問に対し、「警察官に火がつく前に被告人が蹴るのは見ていない。被告人が蹴つたと証言した覚えはない。」旨また明確に証言しているのであつて、被告人の行為について極めて重要な点につき非常に不可解な証言をしており、このことは、同証人の証言のうち少なくとも被告人の行動に関するその他の部分の信用性に対しても疑念をいれざるを得ず、同証人の証言が所論の点につき具体的かつ明確であることの故をもつて信用性があるということはできないのであり、同証人の証言を排斥した原審の判断は、これを肯認することができる。

(3) さらに、原審証人宇保賢二の証言の信用性について検討するに、同証人は約一〇メートル位離れたところから目撃したものであるところ、当裁判所における事実取調べの結果によれば、本件当日の日没時間は午後五時四二分であり、被告人の問題の行為は日没後であり、その後薄明現象があるとしても、原審取調べずみの写真および映画フイルムによれば、薄暗くなつていたことは間違いなく、また被害者の胸部付近その他から火煙が上つており、被害者の周辺の者の行為が必ずしも正確には観察し得ない状況にあつたものといわざるを得ないのであり、加えて被告人の行為は、原審取調べずみの写真および映画フイルムから明らかなように、それを目撃する者の角度によつては、被害者を踏みつけているともまた火を踏み消しているともとれる行為であり、したがつて、その者の主観によつても左右され得るものであることがうかがわれるのであり、火炎びんが投げつけられるまでは一方的に殴打され足蹴りにされたりしていた被害者を目撃していた宇保証人にとつては、火の中から被害者を引きずり出した後の被告人の行為をも、被害者に対する一連の暴行行為として感じられたのではないかとも推測されるのであり、したがつて、その他の証拠とも対比した場合、右宇保証人の証言をそのまま信用することには合理的疑問が残るとの原審の判断は、これを誤りということはできない。

(二) 原審証人吉本健二、同前田孝、同上原敏彦、同宮城悦二郎、同吉川正功、同金城孝吉ならびに当審証人吉川正功、同大井且朗、同前田孝は、いずれも、炎の中から被害者が引きずり出された後は、被害者に対し暴行を加えていた者はなく、被害者のまわりの者は火を消そうとしていた旨明確に証言し、検察官の反対尋問に十分に耐え得たものであるのみならず、示された写真についての説明にも不自然、不合理な点はないうえ、原審取調べずみの各写真および映画フイルムからうかがわれる状況とも矛盾するところはなく、また証言自体も互いに符合するものであり、従つて、右原審各証人の証言を信用することができるとの原審の判断はこれを肯認することができる。

(三) 所論は、また、被害者の創傷の部位、程度、成因からして、数名の者が踏みつけるなどした行為は消火行為とすることはできないと主張する。鑑定人高橋建吉作成の鑑定書によれば、被害者の顔面、頭部に多数の損傷があるほか、胸腹部には、右側胸部の変色部、左第三、第四、第五肋骨、右第八、第九肋骨の各骨折、上肢には、左前膊後面、左肘関節、左手背等の表皮剥脱、下肢には、左大腿前面の変色部、右膝部後側の皮下出血等の多数の損傷が存在することが認められることは所論のとおりである。しかしながら、原審取調べずみの各証拠を総合すれば、被害者は、火炎びんを投げられる前に、ヘルメツトをかぶり覆面をした者など十数名の者に捕捉され、棒等で殴打されて路上に転倒し、転倒したままの状況で、更に棒等で殴打され、またところかまわず足蹴りされたことがうかがわれ、被害者の前示創傷は、その際にも十分に生じ得るものであると認められるのであり、従つて、被害者の身体の創傷の部位、程度から、その成因は、炎の中から引きずり出された後に顔面、および胸腹部を踏みつけられたものと断ずることはできない。

それ故、数名の者の踏みつけるなどした行為が消火行為であつたとすると、被害者の身体の創傷の部位、程度との間に矛盾を生ずるとの論旨は採用することができない。

(四) 原審取調べずみの各証拠によれば、火炎びんの炎の中に包まれている被害者を炎の中から被告人が一ないし二メートル引きずり出したことは否定することができない事実であるところ、被告人において被害者を殺害する意図があれば、炎に包まれ身動きひとつできない状態の被害者をそのまま放置すれば足りるものと考えられ、また火傷を負う危険を冒して手でもつて被害者を炎の中から引きずり出す必要はなく、その場で足で顔面等を踏みつけることも十分に可能であつたと考えられ、また原判決挙示の証拠によれば、被告人は、原判示のとおり、沖繩ではほとんどみられない白色のアノラツクを着用し、集団の中にあつてもひときわ目立つ大柄な体格の持主でありながら、覆面等自分を隠すものを身につけることなく、多衆の注視する中で本件問題の行為をしているのであつて、これらの各事実を併せ考えると、当時の現場周辺の異様な雰囲気を考慮にいれても、被告人の行為が検察官主張のように被害者の身体を踏みつけるという残酷な行為であると考えることには無理があり、原判決が述べるように、被告人の行為は火を踏み消す行為ではなかつたかと考えることの方がむしろ自然であつて、この点においても、原審の判断に誤りがあるということはできない。

(五) 以上検討したところを総合すれば、被告人の行為は、被害者の顔面、脇腹を踏みつけたものと認定するのは困難であり、被害者の身体周辺の火を踏み消す行為であつたと考えることがむしろ合理的であるとした原審の認定判断に誤りがあるということはできない。

2  被告人の本件問題の行為前後の行動から、殺人の実行行為に及ぶ動機、原因を認定しうるとの主張について。

(一) 所論は、まず、被告人の原判示日の午後原判示与儀公園における行動から、警察権力ないし機動隊員に対し反感を抱いていたことが明らかである旨主張する。被告人が、警察権力ないし機動隊員に対し一般的な反感を抱いていたことは、被告人の認めるところであり、また原審証人久田力男の証言によれば、原判示与儀公園内で学生集団と機動隊との衝突があり、学生集団が機動隊員に向つて投石などをした際、被告人が右学生らの集団に加わり、「機動隊粉砕」などと叫んでいたことがうかがわれるけれども、それ以上に過激な行為に出たと認めるに足りる証拠はなく、右事実によれば、被告人において、警察権力ないし機動隊員に対し一般的反感を抱いていたことが認められるにすぎず、右事実をもつて、被告人が警察権力ないし機動隊員に対し極度の憎しみを抱き、被告人が殺人の実行行為に及ぶ動機、原因があつたとするには、あまりにも論理の飛躍があるものといわざるを得ない。

(二) 所論は、次に、被告人は、原判示日の午後五時五五分頃、原判示勢理客交差点から五〇ないし六〇メートルほど北上した地点において、機動隊員に対し、「犬だ殺せ」などと怒号したものであるのに、右事実を目撃したとする原審証人新里久清の証言は信用することができないとして、右事実を認定し得ないとした原判決には、証拠の価値判断を誤つた結果事実を誤認した違法があると主張する。

よつて、所論にかんがみ、原審取調べずみの関係各証拠を精査し、かつ当審において右新里久清を証人として尋問し、その証言の信用性をつぶさに検討したが、同証人は、当審公判廷において、「犬だ、殺せ」と叫んだのは被告人であると明確に述べ、その際の状況を具体的かつ精細に説明しており、しかも弁護人の反対尋問にも耐え得たものであるのみならず、その証言に不自然な点はなく、原審公判廷においては、主尋問によつてではなく、弁護人の反対尋問に答えて供述していることなどを併せ考えると、同証人の証言は信用することができるものといわざるを得ない。当審証人大井且朗および佐木隆三は、「当時大きな声を出せる状況にはなかつたし、大きな声を出したのをきいていない。」旨証言しているが、被告人自身、当時「もつと人道的に扱え。」と叫んだことを認めているわけであつて、このことから考えても右大井、佐木両証人の証言は信用性がないものというべきである。

そうすると、原判決が、「右新里が誰かの発した声をきいて振り返つたところ、ひときわ目立つ被告人の姿を発見して被告人を煽動者と即断した可能性も否定しえないところであつて、被告人が『犬だ、殺せ』といつて群衆を煽動したとの右新里の原審における証言はただちに信用しえない。」旨判示したことは、証拠の価値判断を誤つた結果事実を誤認したものといわざるを得ない。

しかしながら、原審および当審で取調べた関係各証拠によれば、被告人が「犬だ、殺せ」と叫んだ頃には、その周辺は、警察の機動隊により完全に制圧され、強力な逮捕活動が行なわれており、原判示山川松三が暴行を受けたときとは雰囲気が一変していたことが明らかであり、従つて被告人は、すでに機動隊員が攻撃されることの可能性がなくなつた状況のもとで、機動隊員に対し「犬だ、殺せ」と叫んだものであり、その言葉が極端な罵言ではあつても字義どおりのものでないことも顕著であつて、右山川が殺害されて数分後、しかも五〇ないし六〇メートル離れた場所でなされたことを考慮に入れても、平素警察権力ないし機動隊員に対する反感を持つている者が、強力な警察権力の行使を目の前にして、その感情を爆発させ、激しい言葉で野次つたものとみるのが自然であり、被告人の右言動をもつて、被告人において機動隊員を殺害する動機、原因があつたとするには、なお、論証不足といわざるを得ない。

3  被告人は、本件問題の行為の直前に、被害者の身体を激しく足蹴りしており、このことから被告人の右問題行為が殺害行為であることを裏づけるに十分であるとの主張について。

(一) 原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、被告人が原判示勢理客交差点において機動隊員を一回足蹴りにしたこと、その機動隊員が原判示山川松三巡査部長であることが明らかに認められる。

(二) そこで、それがいかなる時点でなされたかについて審案するに、原審証人山城常茂の証言によれば、覆面集団が、最初に原判示勢理客交差点において警備中の警察官らに火災びん攻撃を行なつたのは、午後五時四五分すぎごろであること、司法警察員田場典宜作成の写真撮影報告書によれば、午後五時五三分ごろ原判示被害者が路上に仰向けになつて死亡していたことが明らかであり、従つて被害者が捕捉されてから攻撃を受け死亡するまでの時間は、最大限八分間であり、被害者が原判示のような暴行を受け死亡した経過を目撃していた原審証人宇保賢二が、その間の時間を二、三分と証言し、他の証人も一連の事件が短時間のうちに行なわれた旨証言しているところから、八分間よりもさらに短い時間内の犯行により被害者が殺害されたことが明らかであり、被告人の足蹴り行為もその間になされたものである。

(三) ところで、原審証人宇保賢二、同前田孝、同上原敏彦、当審証人大井且朗および同前田孝の各証言を総合すれば、被害者は、火炎びんを投げた者らを追つて原判示勢理客交差点内の群集の中に警棒を持つたまま飛び込んだところ、群集らにこずきまわされ、そのうちにヘルメツトを持つた集団に捕捉され、棒等で背中を殴打される等の暴行を受けて道路上に転倒し、そこでヘルメツトをかぶつた者らに囲まれ、棒等で殴打され、あるいは足蹴りされる等の暴行を受けたが、そのうち火炎びんが投げられて、炎に包まれ、それを被告人が一、二メートル引きずり出したものであることが認められる。そして、原審証人宇保賢二は、「警察官は角材で五、六回殴られくずれるように倒れた、」と証言し、倒れた場所は被害者が炎に包まれた場所を示しており、原審証人前田孝は「被害者が倒れたときから見た。」と証言し、同様に倒れた場所として被害者が炎に包まれた場所を示し、また、喜久里写真13について被害者が倒れる前後の写真である旨証言しており、更に右写真に写つている「近畿電気工事」及びその下に「協生電気社」という文字のある看板の位置関係及び司法警察員作成の実況見分調書を綜合すれば、被害者が倒れる前後の位置は、炎に包まれた位置近くであると一応推測される。

(四) 次に、読売新聞掲載の上段の写真によれば、被告人は、まさに倒れかかつている被害者を蹴つていることが明らかである。

(五) しかしながら、被告人は、原審及び当審において、右足蹴り行為後、その場から移動し、機動隊員が逃げこんだトヨタビル及びその構内への火炎びん攻撃を見ており、同ビルのシヤツターが閉じられた後に、左手に炎があがるのが見えたので、その場に小走りに駆け寄つてみると、道路上に機動隊員が炎に包まれて仰向けに倒れていたと供述し、原審及び当審で取調べた関係各証拠を仔細に検討してみても、右供述に一部符合し、右事実を推認させるものがあつても、これを否定するに足りる証拠はない。そうして、たとえ、被害者が捕捉されてから死亡するに至るまでの時間が八分間以内の短時間であつたとしても、動きの激しい本件現場にあつては、被告人の右の如き行動が、不自然、不合理と目することはできない。

(六) また、読売新聞掲載の上段の写真と、当審において取調べた検察官提出の前田孝撮影にかかる写真とを対比すると、前者では、何ら火炎びんの炎が見られないこと、被害者の右足がひざから折りまげられ、足首が内側にひねられていること、中央右寄りの頭に何もかぶらず眼鏡をかけている男は、旗竿を手にしていることが知られるのに対し、後者では、すでに火炎びんが燃えあがつていること、被害者の左足がひざから折れて足首が内側にひねられていること、右寄りの頭に何もかぶらず眼鏡をかけている男の手には旗竿が見られないことがうかがわれるのであつて、その両者を詳細に比較検討すれば、たとえ右眼鏡をかけた男が同一人物だとしても、両者が撮影された場所が全く同一と言えないことはもとより、極めて近接した場所ということもたやすく認定できない。むしろ、両者を比較し前記関係証拠を勘案すれば、被害者は、前者の場所から後者の場所へ、殴られては倒れかかり、体勢を立て直そうとしてはまた殴られるという形で移動していつたものと推認するに難くない。そして、本件全証拠によつても、その間被告人を見たと証言する者もいなければ、被告人の写つている写真も存在しない。

(七) なお、読売新聞掲載の上段の写真だけから、被告人の足蹴りが激しいものであつたと認定することの困難なことは、被告人は、その伸び切つた右足の先が、被害者の右腰部附近に辛うじて届き、軸足の左足が傾き、腰から落ちそうな不安定な姿勢にも見られること、一方、被害者は、被告人の足蹴りより先に、被害者にとつて左前方からヘルメツトをかぶつた男に鍬の柄様の棒で強打され、また同じく左後方から頭に何もかぶらぬ男に旗竿で殴打されたために、被告人の側に崩れるように倒れかかつたものとも見られ得ることなどに徴して明らかであるところ、右写真を除いては、被告人の足蹴りが激しいものであつたことをうかがわせる証拠はない。

(八) 右のとおりであるから、被告人の足蹴り行為が、激しいものであり、且つ、本件問題の行為と時間的場所的に近接しているところから、同一意思に基づく一連の行為であるとの検察官主張は、その証明がないことに帰し、従つて、被害者に対し、火炎びんが投げられていない段階における唯一回の右足蹴り行為を以て、被告人に被害者を殺害する意図があつたとか、本件問題の行為が殺害の実行行為であることを推認できるとかとすることには所詮無理があるといわざるを得ない。

4  以上検討したところを総合すれば被告人の本件問題の行為は、被害者に対する残虐な殺害行為とは正反対の、率先した救助行為としての消火行為と目するのが合理的であるから、被告人が被害者を炎の中から引きずり出したうえ、その顔面及び脇腹を踏みつけるなどの殺害行為をしたとの本件殺人の点については、その証明がないとした原審の判断は、これを肯認することができるのであつて、原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実誤認の違法はない。論旨は理由がない。

二控訴趣意第二点(訴訟手続の法令違反の主張)について。

所論は、要するに、検察官は、原審第一八回公判期日において、被告人の分担した殺人の実行行為として「山川松三の腰部付近を足げにし路上に転倒させたうえ」を追加し、被告人の実行行為を「山川松三の腰部付近を足げにし路上に転倒させたうえ、炎の中から炎に包まれている山川松三の肩をつかまえて引きずり出し、顔を二度踏みつけ、脇腹を一度蹴つた行為」とする訴因の追加的変更請求をしたのに、右請求を結審段階にあるとの理由から不許可にした原審裁判所の措置は刑訴法三一二条一項に違反し、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反があるというものである。

よつて、所論にかんがみ、当裁判所は、本件記録を精査、審案したところ、所論訴訟手続の法令違反は存しないとの結論に達した。以下順次判断を示すこととする。

1  本件記録によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件は、一九七一年(昭和四六年)一二月八日起訴されたものであるが、その起訴状には、「公訴事実」として「被告人はかねてより警察権力に反感を抱いていたものであるが、氏名不詳の者数名の者と共謀の上、一九七一年一一月一〇日午後五時五〇分頃、浦添市勢理客一番地中央相互銀行勢理客出張所先交叉点道路上に於いて警備の任に当つていた琉球警察警備部隊第四大隊第二中隊第二小隊所属巡査部長山川松三(当四九年)を殺害せんと企て、同人を捕捉し角材、旗竿で殴打し、足蹴し顔面を踏みつけた上、火炎瓶を投げつけ焼く等の暴行を加え、よつて右警察官を前記日時頃、前記場所に於いて、脳挫傷、蜘蛛膜下出血等により死亡させて殺害したものである。」とあり、「罪名及罰条」として、「殺人刑法第一九九条」と記載されていた。

(二) 検察官は、一九七二年(昭和四七年)二月二五日の第一回公判期日において、(1)右「氏名不詳の者数名」とある「氏名および数は、現在捜査の過程で判明していない。」(2)「本件殺人の共謀とは、実行行為共同正犯の意である。」(3)「本件共謀の具体的日時場所は、起訴状中の同人を捕捉し角材旗竿で殴打し足蹴にしているのを認めてそこで数名の者と共謀して殺意を生じたのである。」(4)「本件における被告人の具体的行為は、炎の中から炎に包まれている山川松三の肩をつかまえてひきずり出し顔を二度踏みつけ脇腹を一度蹴つた行為である。」と釈明し公判調書に明記された。

(三) これに対し被告人及び弁護人は、全面的に争つた。

(四) 検察官は、ひきつづき同公判期日において、冒頭陳述をし、「本件犯行状況」として、「本件犯行当日被告人は午後四時頃……友人と共に与儀公園に至り、集会に参加した。その後デモに移り、徒歩で牧青集団の近くを安謝迄同行した。安謝橋を過ぎ勢理客交番近くまで到り、同所でドクロ覆面をした集団が交番所機動隊に攻撃を開始したのち、午後五時五〇分頃、多数の者で機動隊員をとりかこみ、滅多打ちしているのを目撃し、同人等と有無相通じ、その肩を掴まえて炎の中から右警察官をひきずり出し、顔面部を二度踏みつけ、脇腹附近を一度足蹴りしてその場を離れた。」と述べた。

(五) 爾来、本件の攻撃防禦は、専ち、被告人が炎の中から右警察官をひきずり出したこと、及びその直後の被告人の足踏み等の行為が、検察官主張の本件殺人の実行行為なのか、それとも被告人主張の右警察官に対する救助行為としての消火行為なのかを熱い争点として展開されていつた。

(六) ところが、第一回公判期日から約二年六箇月を経た昭和四九年八月五日の第一八回公判期日において、検察官は、第一回公判期日における前記釈明及び冒頭陳述の訂正として、被告人の具体的な実行行為の釈明即ち「炎の中から炎に包まれている山川松三の肩をつかまえてひきずり出し、顔を二度踏みつけ脇腹を一度蹴つた行為である」としたそのあたまに、「山川松三の腰部附近を足げにし、路上に転倒させたうえ」と追加すると述べ、また、冒頭陳述につき、「同人等と有無相通じ」としたその次に、「右警察官の腰部附近を足げにし路上に転倒させたうえ」と追加すると述べた。これに対し裁判長がその追加訂正を許さなかつたため、右を訴因の変更として申し立てた。

弁護人は、検察官の右陳述は、単なる釈明及び冒頭陳述の追加訂正ではなく、訴因の変更にあたるとし、かつ、起訴状記載の訴因が不明確であつたために、弁護人の求釈明により、前記の如く訴因が確定したのであつて、爾来実行行為たる前記(二)の(4)の事実に防禦を集中してきたこと、とりわけ殺意の点は、前記(二)の(3)の釈明によつて、「炎の中から炎に包まれている山川松三の肩をつかまえて云々」というその行為に接着する段階からの殺意の主張と理解して弁護を集中してきたこと、及び起訴状記載の足蹴り行為は、検察官の釈明によつて、被告人以外の、即ち他人の行為とされたことなどから、右釈明等の追加訂正及び訴因の変更申立のいずれにも反対であると述べた。

裁判長は、検察官の右釈明及び冒頭陳述の追加訂正が訴因変更に通ずるものがあつて相当でないとして許さず、次いで訴因変更の申立に対しては、本件審理が長期にわたつており、又結審段階にきていることを挙げて、その撤回を勧告したが、検察官が応じなかつたため、本件が結審段階にあることを理由に右訴因の変更を許可しないと告知した。

(七) 原審裁判所は、次回第一九回公判期日に若干の証拠調べをしたうえ、次の第二〇回公判期日に結審した。

2  以上の事実関係のもとで、原審裁判所のとつた訴因の追加的変更請求不許の措置が違法か否かを検討する。

(一) 一般に実行共同正犯においても、意思の連絡又は共同犯行の認識を示すために、実務上しばしば「共謀」という語が使用されることは顕著であるから、弁護人が、前記起訴状記載の公訴事実が、殺人の共謀共同正犯なのか実行共同正犯なのか不明確であるとして釈明を求めたのは、両者が共犯の態様、就中「共謀」の意味内容を異にし、延いて防禦に深くかかわることに鑑み、当を得たものと思われ、さればこそ検察官もこれに応じて、前記の如く実行共同共犯であると明言し、その実行行為と、殺意を生じ意思を連絡した時点とを限定し、以て本件訴因を特定したものといわなければならない。このことは、前記冒頭陳述からみても疑問の余地がない程明らかであつて、換言すれば、被告人が、「炎の中から炎に包まれている山川巡査の肩をつかまえて引きずり出し」た時点以前の被告人の行為、具体的には、検察官が起訴に至るまでの取調べ過程において知悉していたというべき(原判決挙示の検察官に対する供述調書参照)被告人の右時点以前の足蹴り行為は、始めから意識的に訴因の埓外におかれ、立証事項からも明瞭に除外されていたのを、あらためて明確にしたとみるのが至当であり、この点、起訴状記載の公訴事実中にある「足蹴し」とは、前記釈明(二)の(3)の文脈からしても、明らかに被告人以外の、即ち他人の行為を指したものであるといわなければならない(検察官は、その控訴趣意中において、起訴状記載の公訴事実の中に、この「足蹴し」とあるのをとらえて、訴因として足蹴り行為が掲げられているから、被告人の実行行為として前記腰部附近を足蹴りし転倒せしめた行為を追加することは、釈明及び冒頭陳述の訂正で足りると主張するが、その然らざる所以は本文説示のとおりである)。

(二) かくして第一回公判期日以来第一八回公判期日に至るまで約二年六箇月の間、争点は、専ら、前記時点以後の被告人の行為が、殺人の実行行為かそれとも救助行為としての消火行為かにしぼられて攻撃防禦が展開され、とりわけ弁護人は、防禦活動を右の一点に集中してきたことがたやすく看取されるところ、その防禦活動が成功したかにみられ(このことは原審判決内容において裏づけられる)、かつ、結審間近か(このことは次々回に結審していることによつて明白)の段階で、当初の釈明によつて明瞭に訴因からも立証事項からも除外されていることが確認された右足蹴り行為が、あらためて立証事項とし、訴因として攻防の対象とされようとした。これが第一八回公判期日における検察官の釈明及び冒頭陳述の追加訂正並びに訴因変更の申立をいずれも許可しなかつた原審裁判所の背景にあつた事情と考えられる。

(三) 他方、刑訴法三一二条一項は、「裁判所は検察官の請求があるときは、公訴事実の同一性を害しない限度において、起訴状に記載された訴因又は罰条の追加、撤回又は変更を許さなければならない。」と定め、一般に、右請求は、検察官の責任と権限においてなされるべく、裁判所の介入すべきことではないとされ、ここに刑事訴訟の当事者主義的構造のあらわれがみられると解されている。そしてその赴くところは、公訴事実の同一性を害しない限り、検察官は、一度撤回した訴因を再び追加することすら、原則として禁ぜられるものではないとの裁判例も示されている。しかしながら、およそ例外を全く許さない原則はないのであつて、同条四項に、「裁判所は訴因又は罰条の追加又は変更により被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞があると認めるときは、被告人又は弁護人の請求により、決定で被告人に充分な防禦の準備をさせるため必要な期間公判手続を停止しなければならない。」と定めていることにかんがみると、右検察官の権限といえども、被告人の防禦に実質的な不利益を生ぜしめないこととの適正な釣合いの上に成り立つていることが明らかであつて、もし、被告人の右不利益を生ずるおそれが著しく、延いて当事者主義の基本原理であり、かつ、裁判の生命ともいうべき公平を損うおそれが顕著な場合には、裁判所は、公判手続の停止措置にとどまらず、検察官の請求そのものを許さないことが、例外として認められると解するのが相当である。しかして、ここにいう被告人の防禦に実質的な不利益のなかには、憲法上の要請でもある迅速な裁判をうけ得ないことからくる被告人の不安定な地位の継続による精神的物質的な消耗をも考慮に入れるべきである。

(四) このような観点に立つて本件を案ずるに、検察官の前記訴因変更の請求は、成程公訴事実の同一性を害しない限度ではあるが、前示(一)及び(二)の経緯が明らかに示すとおり、検察官が弁護人の求釈明によつて自ら明瞭に訴因から除外することを確認した事実をあらためて復活させるに等しく(本件においてはこの事実即ち前記足蹴り行為が訴因にのぼせられるにおいては、被告人にとつては、本件殺人の点につきあらたな防禦範囲の拡大を強いられるのみならず、暴行、傷害、傷害致死等の実行行為としても独立に評価され、処断される危険にさらされることに留意すべきである)、しかも約二年六箇月の攻防を経て一貫して維持してきた訴因、即ち本件問題の行為が殺害行為そのものであるとの事実の証明が成り立ち難い情勢となつた結審段階のことであつてみれば、そうしてまた、被告人としては、右足蹴り行為につき、それまで明確に審判の対象から外され、従つて防禦の範囲外の事実として何ら防禦活動らしい活動をしてこなかつたことの反面、右問題の行為が、殺害行為どころか救助行為としての消火行為であるとの一貫した主張がようやく成功したかにみえる段階であつたことをも考えあわせてみれば、それはまさに、不意打ちであるのみならず、誠実な訴訟上の権利の行使(刑訴規則一条二項)とは言い難いうえに、右事実をあらたに争点とするにおいては、たとえば、読売新聞掲載の写真の撮影者等の証人喚問、フイルムの提出命令等の事態が十分予想され、被告人としても、これらに対するあらたな防禦活動が必然的に要請され、裁判所もまた十分にその機会を与えなければならないから、訴訟はなお相当期間継続するものと考えられ、迅速裁判の趣旨(刑訴規則一条一項)に反して被告人をながく不安定な地位に置くことによつて、被告人の防禦に実質的な著しい下利益を生ぜしめ、延いて公平な裁判の保障を損うおそれが顕著であるといわなければならない。

以上審案したところによつてみれば、原審裁判所が、検察官の前記訴因の変更を許さなかつたことは、さきに示した例外的な場合に該当して結局相当というべく、刑訴法三一二条一項の解釈適用を誤つたものとすることはできず、訴訟手続の法令違反は存しない。論旨は理由がない。

第二弁護人らの控訴趣意について。

弁護人知念幸栄ほか五名の控訴趣意第一点及び同石田省三郎の控訴趣意第二点(刑訴法三七八条三号違反の主張)について。

所論は要するに、原判決には、訴因として掲げられていない事実、即ち被害者が炎に包まれる以前の被告人の足蹴り行為を認定し、この事実により傷害の共謀の成立を認め、共謀による傷害致死罪に問擬した点、審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるというものである。

よつて、所論にかんがみ審案するに、本件記録によれば、原判決は、罪となるべき事実として、「被告人は、一九七一年一一月一〇日午後五時五〇分ころ、沖繩県祖国復帰協議会主催の沖繩返還協定批准に反対し完全復帰を要求する集団示威行進に加わつて、浦添市勢理客一番地の中央相互銀行勢理客出張所前交差点にさしかかつた際、白ヘルメツトを被り覆面をした者など二、三名が同所で警備の任に当つていた琉球警察警備部隊に属する巡査部長山川松三(四七歳)の腕を捉え、その身体を振りまわし、こん棒で殴打するなどしているのを見て、かねて警察権力に反感を抱いていたところから、相呼応して協力し合う気勢を示して、暗黙裡に右二、三名の者との間に意思を相通じ、共謀の上、右二、三名の者が殺意をもつて右山川をこん棒で殴打したうえ、その場に駆け寄つてきた覆面姿の者ら数名との間に意思を相通じ、右二、三名の者らと右数名の者が殺意をもつてその場に倒れた山川をとり囲み、こもごもこん棒、角材等で殴りつけ、さらに同人めがけて火炎びんを投げつけてその身体を火で包む等の暴行を加え、よつて、そのころ同所で同人を脳挫創、クモ膜下出血等に基づく外傷性脳障碍によつて死亡するに至らしめて殺害したが、被告人は同人に対し傷害を負わせる認識を有していたに留まつたものである。」と認定(適用法令として「特措法」二五条一項前段、沖繩の刑法六〇条、一九九条、三八条二項、六〇条、二〇五条一項を挙示)したが、ほかに(事実の認定について)と題して、更に詳細な事実認定を掲げ、右罪となるべき事実の前提となる事実等を明らかにした。それによれば、「検察官は、被告人が右覆面姿の者ら数名と共謀し、かつ、炎の中から炎に包まれている被害者を引きずり出し、その顔面を二度踏みつけ、脇腹を一度足蹴にして現実に実行行為の一部を分担して、同人を殺害したと主張している。」と検察官の主張を要約したうえ、先ず第一に、右後段の「被告人が炎に包まれている被害者に対して右のような行為に出たか否かについて検討する」として、関係各証拠を検討し、その結果、「被告人は被害者を引き出してのち、被害者の身体周辺の火を消すため、附近を踏みつけていたものと考えることがむしろ合理的であるといわざるをえない。」と判断して、結局右検察官主張事実は「その証明がない」とした。そこで第二に、右前段の「被告人が前記覆面姿の者ら数名と被害者を殺害しようと共謀した」か否かについての検討に移つた。

ところで、右判文にいう「前記覆面姿の者ら数名」が、さきの検察官の主張の要約の箇所の「右覆面姿の者ら数名」を指していることは明瞭であるが、この「覆面姿の者ら数名」とはこれより、前の判示文脈上からすれば、被害者が一群集にこづきまわされたうえ、右覆面姿の者ら二、三名に捕捉されて鍬の柄ようのこん棒で殴打され、うずくまるようにその場に倒れた」(ここに「右覆面姿の者」とは、「デモ行進に参加していた、ヘルメツトを着用し、目の箇所だけをくり抜いた覆面姿の者」の謂である)後に、「そこに……かけ寄つてきて、被害者に対しこもごも前認定のような暴行を加えた」ところの「右同様の覆面姿の者」ら数名を指していると考えられる。そうであれば、これは、前記のように、検察官が訴因として特定したところの、被告人が殺意を生じ、共謀したとする時点とも符合するのであつて、検察官主張の要約は正当であつた。ところが、原判決は、右第二の「共謀」の検討に入るや、「共謀」の相手方とその成立時点とを遡らせて、「被告人は、消火行為に出る少し前に被害者を一回足蹴にしていることが明らかである。」とし、関係各証拠によれば、「覆面姿の者ら二、三名に捕捉された被害者が、彼らからこん棒で殴打され、ふりまわされるなどして、くずれるように倒れかかつたところを、そのような事情を認識したうえで蹴つたものと認めるのが相当である。」としたうえ、「機動隊員に対する攻撃的雰囲気が附近のデモ参加者らの間に漲つていたと考えられる中で、前記のとおり警察権力に対する反感から、右のように暴行を受けて、くずれるように倒れかかつている被害者を蹴つた被告人は、右覆面姿の者ら二、三名と相呼応し、彼らと一緒になつて被害者に攻撃を加えようとする気勢を示してその意思を発現したものというほかなく、法律上『共謀』と十分に評価しうる意思連絡が、被告人と右二、三名の間に成立したことは否定することができないというべきである。」と断じた。

してみると、原判決が、罪となるべき事実に掲げたところの、被告人が「相呼応し合う気勢を示し」たことは、具体的には、被告人が、「消火行為に出る少し前に被害者を一回足蹴にしていること」そのことに尽き、この事実を除いては他に何らの徴表事実のないことが明らかである。そうして、原判決は、この足蹴り行為によつて他の者との傷害の意思連絡即ち共謀を導き、殺意をもつて暴行に及んでいる他の者との順次共謀を認定した結果、傷害致死罪に問擬したこともその判文上明白である。しかしながら殺人の実行共同正犯とされた本件の訴因においては、被告人が殺意を生じ、かつ他の者らと共謀即ち殺害の意思連絡をした時点は、検察官の控訴趣意第二点に対する判示から明らかなように、炎に包まれている被害者を被告人がその肩をつかまえて炎の中から引きずり出した段階に接着する時点であつて、それ以前の、少なくとも被告人が右足蹴り行為をした時点にまで遡るものではないことが明瞭であり、従つて右足蹴り行為は、いかなる意味においても、本件「共謀」の訴因外の事実といわなければならない。のみならず、右足蹴り行為が、前記問題の行為を殺害行為と認定するための間接事実としてとらえられ、それゆえなんら訴因に掲げられなくともよいとしても、原判決の如く傷害致死罪を以て問擬する限りは、一あつて二なき実行行為ないし共謀の事実にほかならないから、当然訴因に掲げられなくてはならない。

このようにみてくると、原判決は、前記のような経緯で検察官が特定し、原審裁判所自体厳格にこれに依拠した筈の訴因の範囲を逸脱して審判したとのそしりを免れることはできず、刑訴法三七八条三号後段にいわゆる審判の請求をうけない事件について判決したものというべきである。論旨は理由がある。

よつて弁護人らのその余の主張に対して判断するまでもなく、弁護人らの本件控訴は理由があるから、刑訴法三九七条一項、三七八条三号後段により、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書の規定に従い、さらに、自ら、つぎのとおり判決する。

本件公訴事実は、前示第一の二の1の(一)に掲げた起訴状記載のとおりであるが、これについては、検察官及び弁護人の各控訴趣意に対する判断において示したところから明らかなとおり、犯罪の証明がないから、刑訴法三三六条により無罪の言渡しをすべきである。

なお検察官の本件控訴は理由がないから、同法三九六条によりこれを棄却することとする。

よつて主文のとおり判決する。

(高野耕一 屋宜正一 堀籠幸男)

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